感性の出処

ISSUE Type-3のご予約ありがとうございました。

遠方の方の予約も多くてこの時期なのに服への熱量を感じましたし、何人かのお客さんとは直接電話でやりとりしたんだけど服好きとの話はやっぱ楽しいですね。

予約の数もほぼ当店の分は埋まったので入荷後に店頭に並ぶことはありません。

一応ホールドの方がいらっしゃるので「並ばないなら予約しとけば良かった」という方は連絡ください。

キャンセル待ちという形で承ります。


そして・・・・

深夜に掛かってきた1本の電話。

「彼だ!」

「アテリエのザキ☆パイセンだ!」

自分で作ったハイボールを片手に電話に出て会話すること30分強。

今の状況だったり色んなことを話した。

そして先ほど会話の内容を思い出し一節の会話を思い出した。

「自粛ムードで感性が死んでいくのが分かる」

この言葉が出て来た会話の前後は関係ないのだが、☆パイセンのような鋭い感性と嗅覚を持っている人の感性とはどこで養われるのだろうかと考えました、月明かりの下。

私は服によって見る景色が変わり非日常的な一部を楽しめると考えている、まさに今という瞬間を映画の一部にするように。

しかしそれは自分の生活ありきの話であって極端に言えば「生活の底上げ」という話になる。

でも☆(大先輩)の場合は海外から新しい刺激を持ってきて生活に組み込むと言った「劇薬を与える」ということに近いと思う。

私は下から知らぬ間に底上げを測ろうとしているのに対し、上から強制力のあるやり方で一気に風景を変える。という手法。


この2つのやり方では同じ服を売ると言う作業の内容が大きく変わると思う。


何が言いたいかというと自分のやっているやり方だと下手したら「服」という大切な存在が当たり前になってしまうのではないかという事。

そしてそうやっているうちに楽しみを与える側の自分ですら楽しめなくなるのではないかと。


ほら、大切なもの程気付いた時にはもう遅いっていうじゃない?

服というのは買う瞬間も買った後も素晴らしい時間が付随するものだと思うし、自分の中で単純に服を売るって作業が嫌で独立した面もあるので余計に考えてしまう。

もちろん今は皆で足並み揃えて自粛すべきだと分かっています。

でも自粛が解け昔以上に楽しめる瞬間が来た時に期待を超える何かを用意したい。

CaraやDenisに会って、そしてそれを店頭で皆さんが手にとって見ている時の目の輝きが私をそう思わせるんです。

服って楽しいんだよなぁ、、、-5kgを目指しダイエット中に我思ふ。

さ、今日もバット振るかな。







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